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マキノの昼行燈 昭和二(一九二七)年四月、山中貞雄はなんとかマキノにもぐりこみ、台本部に席を得た。台本部といっても学生あがりの新米がいきなりシナリオを書かせてもらえるはずもない。山中にあてがわれたのは、埃っぽく光の届かない作業場といった一室…
山中貞雄、牧野省三に直談判する 昭和三(一九二八)年の春、マキノを飛び出して独立プロを旗揚げした片岡千恵蔵や嵐寛寿郎たちだったが、雙ケ岡の日本キネマ撮影所に立て篭もった五つのプロダクションのうち山口俊雄プロ、中根龍太郎の喜劇プロはわずか二ヶ…